(宮澤賢治・文/伊藤亘・絵)『虔十公園林』(偕成社)
虔十が植えた杉の木の列に、『虔十公園林』と名づけた博士が昔を思いだしながら、「虔十という人は少し足りないと私らは思っていたのです。いつでもはあはあと笑って歩いている人でした。毎日丁度この辺に立って私らの遊ぶのを見ていたのです。この杉もみんなその人が植えたのだそうです。ああ、全く誰が賢く誰が賢くないかは分かりません。ただ、どこまでも十力の作用は不思議です。ここはもういつまでも子供たちの美しい公園です。」と語ります。十力とは、仏教用語で、「仏に特有な10種の智力のこと」、その測り知れない力が働いた虔十とは・・・。
いつも縄の帯をしめて、笑いながら、杜の中や畑の間をゆっくり歩いている虔十、子ども達に馬鹿にされてはあはあ息だけついてごまかしながら笑う虔十、一生懸命に穴を掘り、兄さんの言う通りに苗を植える虔十、人の悪い平二に反対されても杉の苗を育て続ける虔十、無心に杉の木の枝打ちをする虔十、枝打ちをした杉の列に集まる子ども達を隠れて見ている虔十・・・私は、この話を読むたびに、心の底から暖かくなるのを感じます。最も無力なものに、最も大きな力が働くことを感じるからです。
伊藤亘氏のペーパーレリーフによって描かれた虔十は、まるで仏像のようです。自らの名を「ケンジュウ」と表記することもあった宮澤賢治が理想とする人間像を伊藤亘氏のペーパーレリーフ作品を通して味わってみてはいかがでしょうか。
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コメント
ろみぃさん、こんにちわ。
パロル舎の画本を購入されたのですね。小林敏也さんの絵本は買って後悔するということはないと思います。
愛蔵書コーナーがどんどん充実してゆきますね。ろみぃさんの感想、楽しみにしています。その時はトラックバックをよろしくお願い致します。
投稿 まざあぐうす | 2005/06/05 21:38
こんにちは。
やはりお二方とも、宮澤賢治となると、読みが深くて感動!!です。
実は、この偕成社のシリーズを持っていて(この本も持っていなくて、全部じゃないのですが)パロル舎の画本シリーズで躊躇していたんです。
結局、お二方からお勧めいただきましたし、ギャラリー6坪さんもご紹介いただいたし、で画本も買って、息子たちとは別の愛蔵書コーナーにあります。 今は後悔していません!!
また近いうちに感想など書けたらいいのですが。
投稿 ろみぃ | 2005/06/05 18:40
山猫編集長さん、早速コメントをいただきうれしいです。編集さんのブログで取り上げられていた絵本で、ずっと気になっていました。
とっても良かったです。
虔十さんの表情や仕草が、紙彫という手法の中で、仏像のように大らかにゆったりと描かれていて、ほっとしました。
仏教の教えを最近少しずつ学んでいますが、全ての宗教を包括したような教えだと思うことしきりです。賢治さんは、そういう風に法華経の教えを捉えていたのかもしれませんね。
宇宙的真理のように。
「ああ、全く誰が賢く誰が賢くないかは分かりません。」という言葉を虔十公園林を読みながら、思い出していました。本当にそうですね。その言葉も大好きです。
賢治さんの作品は、全て繋がっているように感じます。
投稿 まざあぐうす | 2005/06/02 18:59
「虔十公園林」のお話は、賢治さんにとっては仏教のお話ですけれど、まざあぐうすさんでしたらキリスト教のお話としても読むことができるのではないですか。
宗教の違いや垣根を感じさせない賢治童話の魅力がここにあると思っています。
「どんぐりと山猫」でもそうでしたが、一番おろかな者が一番えらいのだ、などという論理は普通の常識では考えられませんよね。ですが、ここで語られる「ああ、全く誰が賢く誰が賢くないかは分かりません。」という言葉の重みですね。
この言葉から、少しは「どんぐりと山猫」の意味も推し量ることができるような気がします。
その重みを忘れないようにしないといけませんね。自戒をこめて。
「生かされている理由、生きる理由」・・・「命の価値、命のすばらしさ」に思いが至ります。
--(や)--
投稿 山猫編集長 | 2005/06/02 18:42